下山
日が上るとたちまち真夏の暑さになる。
シナイ山には木陰がない。山頂からの下りは、強烈な日光をさえぎるものなく、一歩下るたび体から水分が抜けていく。顔がジリジリ焦げる。蒸発しそうになって下山した時、わたしの体は干からび、声も出ず、ほとんど「干物」状態だった。
這うようにしてバスに乗りこみ、見回せば、ほかの人も似たり寄ったりだった。1人参加だったので名前はわからないけれど、前の座席の寅さんみたいなゲタ顔の男性は「焼きスルメ」のようになっていた。その隣の女性はふっくら「大福餅」」のような色白美人だったのが、急激な日焼けで赤く「干し柿」みたいだ。後部座席の青年の肌は「煮しめたおでん」色に変色していたし、斜め後ろの細身の若者は「おでん」なら「ごぼう天」だった。
砂漠のバス旅
ひどい日焼け状態のわたしたちを乗せたバスは、その後、シナイ半島の砂漠をひたすら走った。バス全体が熱中症になっていたと思う。気を失うように眠っていて、バス内はシーンとしている。ときたまガイドさんが「白砂漠です」「黒砂漠です」というのでうっすら目を開けるが、白だろうが黒だろうが砂は砂だ。またすぐ目を閉じてしまう。
それよりも、砂漠のところどころに放置された戦争武器の残骸があり、「慰霊碑」らしき金属製の大モニュメントの立っているのが不気味だった。さびた鉄の巨大な物体が砂漠に突き刺さっているさまは、成仏できない「墓石」が慟哭しているようだった。
砂色に染まって3日目、絶世の美女クレオパトラが住んでいた「アレクサンドリア」の町にたどり着いたとき、ようやくこの世に戻ってきた気がした。
わたしへ
こうして15日間のシナイの旅は終わった。
帰国して、シナイ山の小石を見ると、色も形もさまざまだ。「がんもどき」そっくりの大きい石は、家についたとき真二つに割れていた。それほどに石質が柔らかい。赤茶色の小石は「箸置き」にちょうどいいと有難く使わせてもらったら、洗うたび減って、たちまち薄く小さくなってしまい、今は飾ってある。いちばん小さいのは3センチほどで生き物に見える。
シナイ山へ行けたのは夢のようだ。だが見るたび小石は「ほんとうに登ったのだよ」と言ってくれる。写真を見返していたら、その時につくった短歌が隅に書き込んであった。つたないが正直な気持だ。
地球の内臓を 剥ぐごときシナイ山 かくも過酷に 神はおわすか
『旧約聖書』に出てくる神様が文字を刻んだくらいだから超固い岩盤山と思っていたけれど、登ってみたら意外にも丸みをおびた土の山だったというのがわたしのシナイ印象だ。
さらに大きな土のかたまりを背負って帰国した気がする。だから今もこうして粘土コラムを書いている。有難い。
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