粘土ダンゴの山
山頂で日の出を待っているうち、暑いのか寒いのか分からなくなってきた。なにしろ1日のうちに冬と夏があるほど寒暖差が大きく、夜、登ってくるときは冬支度だったから。
そのとき着た服のメモに、「ダウンジャケット。下に、七分袖セーター、長袖セーター、オーバーブラウス、ブラウス、Tシャツ、ベスト、マフラー、スカーフ、靴下2枚、帽子、手袋」とある。信じられないが全部着て登ったのだ。
やがて漆黒の空が紫色に、赤みを帯び、ほのかに明るくなってきた。遠く山々の輪郭が浮かびあがり、一点明るくなったと思ったら太陽が顔を出した。ぐんぐん日が昇ってあたりが照らし出された時、見たことのない不思議な光景が広がっていた。
大地がモリモリ盛り上がっている。なつかしい気がするが、太古の地球のすがたか。
360度ぐるり土のかたまりが凸凹しながら続いている。木がないから山肌は土色だ。これって「巨大な粘土山」だ!なつかしく思えたのはわたしが「粘土」に長くかかわってきたせいだった。
日本では、山といえば「若草山」のように緑色のイメージで、どんな高い山でもかれんな高山植物がわたしたちをなごませてくれる。
なのに、この山ときたら見渡すかぎり「粘土ダンゴ」がつみ重なっている。「シナイ山は花崗岩でできています」と説明文にあるが、どうしても粘土山に見えてしまう。
山頂にて
シナイ山のふもとに「キリスト教の教会」があり、山頂に「ユダヤ教の礼拝堂」と「イスラム教のモスク」がある。世界中から巡礼者たちが命がけでやってきており、山全体が祈りで満ちていた。
日本から来たわたしはシナイ山頂でささやかな「仏教」的な儀式をした。「散華」である。お寺の行事などで花びら形の紙をまくことがあるが、あれだ。
そのころわたしは短歌を勉強していた。師は宮中歌会始の選者をしておられた。その師がシナイ山にささげてよんだ短歌5首を「散華」として預かってきていた。ピンク、黄、水色、若緑、パープル色の和紙の花びら5枚に、歌1首ずつ、毛筆で書かれている。心を鎮め、1枚ずつ散華した。
花びらは雲がたなびくように空中にとどまるように、シナイの谷底へ幻のように消えていった。重力があるようなないような不思議な感じだった。散華を終え、山頂あたりを歩いた。歩きながら小石をいくつかポケットに入れた。
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